新説について

曹操の父の曹嵩は元々は夏侯氏の出で、宦官の曹騰の養子になって曹氏を名乗った。
『正史・夏侯淵伝』に裴松之が『魏略』から引用。夏侯覇の人物伝である。これによると200年に夏侯覇の従妹にあたる13,14歳の少女が本籍地にてたきぎを取りに出かけたところを 張飛にさらわれてその妻となったという。彼女の産んだ娘は劉禅の皇后となり子を産んだ。劉禅夏侯覇が蜀に亡命してきた際に「この子は夏侯氏の甥にあたる」と自分の息子を紹介した。

曹操張飛に血のつながりはない。よって、KOEIの三国志シリーズでは血縁関係に当たることもない。

ではなぜ『演義』でこのことがスルーされたか。
200年と言えば官渡の戦いにて関羽大活躍の場である。しかもその前後で関羽千里行と言う関羽の忠義についておもいっきりに書いてあるわけで。

そもそも『演義』は劉備=善玉、曹操=悪玉という設定で書かれたため、張飛曹操と親戚関係になるより、関羽の忠義を書いたほうが同情を買うことが出来るためだったと思われる。
それに『演義』で張飛はこのとき山賊になっているため、このことを書いたらただの人さらいになってしまうしね。