曹叡について

曹叡について私の知ってる範囲で。

曹叡

魏の第2代目皇帝。文帝(曹丕)と元袁煕の妻・甄皇后との間に生まれた。5、6歳の頃から才気があって祖父の曹操に「後を継ぐのはこの子だ」と言って可愛がった。221年に母親の甄皇后が誅殺されたためなかなか太子に立てられなかったが曹丕と狩猟に出かけたときに鹿の母子と出会い曹丕が母鹿を射殺し、曹叡に小鹿を射させようとしたところ「陛下が母を殺したように、私はその子を殺すに忍びません」と涙を流して言った。これが曹丕きっかけで曹丕は彼を太子に決めたとある。


226年に文帝が崩御すると皇帝に即位する。即位した後は家臣の言葉に良く耳を傾け、諌言もよく受け入れ名君と評判が高かった。


しかし234年、諸葛亮が没すると緊張の糸が切れたのか洛陽宮の大修理、昭陽殿や太極殿の建造など大規模な工事を行ない人民を疲弊させた。


239年、36歳のとき病にかかり亡くなった。

以上、曹叡について簡単に書いてみた。


曹叡の死については『明帝紀』にはっきりと36歳と記述があるため恐らく間違いはないと思われます。
しかしここで気になる事が発生してしまいます。曹操がギョウを落としたのは建安9年(204年)8月のため曹丕甄姫を納れたのはそれより早いことは絶対無いし、その年のうちに曹丕の子供を産むのもまずありえないと思います。しかし曹叡の年齢を逆算するとそんなありえない事が発生してるわけですよ。

一応これについては裴松之も「建安9年8月にギョウを定め、曹丕甄姫を納れた。明帝は建安10年生まれであるはず。239年の正月まで計算すると34歳にしかならない。」云々と言っています。

結局、曹叡の父親は誰になるのでしょうか?史実通りの曹丕になるのか、それとも甄姫の元旦那の袁煕になるのか。



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